2022.08.30メールマガジン
イマドキの中高生は-
「3年生が問題なんですよ。何とかしてあげたいと思うんですが」。
先日、出前授業で訪れた中学校の進路指導担当の先生から、真剣な表情で打ち明けられました。
コロナ禍も3年目に入り、入学以来「ウィズコロナ」で過ごしてきた中学生・高校生たちが、進路選択の時を迎えつつあります。一斉休校からスタートした学校生活。さまざまな行事は中止か規模縮小、食事は黙食、部活動や校外学習、グループワークも制約だらけ・・・。
コミュニケーション力を育む機会を十分に与えられないまま、小論文や面接など、「コミュニケーション力」を問われる機会に臨まなければならない生徒たち。指導にあたる先生たちのご苦労は、察するに余りあります。新聞記者の「聞く力」や「書く力」を伝授することで、少しでもお力になれれば、と、ご要望があればなるべく出前授業にお伺いするようにしています。
コロナ禍の中高生たち。確かに、以前に比べれば、質問の手が挙がりにくかったり、うまく言葉が出てこなかったりと、コミュニケーションに苦手意識を持っているようにも見えます。
「あさま山荘事件の報道について、どう思いますか?」。
授業を終えて帰ろうとした私に追いすがり、質問をぶつけてきた男子生徒がいました。話してみると、新聞記者である私よりはるかに事件の詳細について知っています。聞けば、事件をテーマにした映画を動画配信サービスで偶然に見て興味を持ち、片っ端からインターネットで調べたのだとか。
別の中学校では、「マリアナ沖海戦」の顛末について教えてくれた強者もいました。こちらは、父親が読んでいた第二次世界大戦についての書籍をきっかけに興味を持ち、やはり自分で調べるようになったのだそうです。
いかにも「最近の若者」な感じがします。どちらの学校でも、先生に「すいませんね。この子オタクなんですよ」と謝罪されました。暇さえあればネットばかり見ている。自分の興味があることしか知ろうとしない。自分が生まれてもいない時代の出来事について、オタク的な知識でまくし立てるーー。「これだから最近の若者は」と言いたくなってしまうのもわからなくはありません。
程度の差こそあれ、振り返ってみれば、自分が中学生・高校生の時も、こんな感じだったような気もします。アイドルに夢中になっている子もいれば、スポーツ選手に夢中になっている子もいたり、はたまたアニメやゲーム、と、周りを見渡せばそれぞれに興味を持っていることは少しずつ違っていたような気がします。
大切なのは「みんなが自分と同じことに興味・関心を持っているのではない」と知ること、一歩進んで、「では、年の離れた人たちは、どんなことに興味があるのか」ということを知ろうとすること、ではないでしょうか。便利なデジタル機器に囲まれた中高生たち。調べようと思えばいくらでも調べる好奇心はある。その視野を、少しだけ広げるようにしてあげられるのは、大人の役割なのではないでしょうか。
ますます細分する個人の趣味・嗜好に答える無限の答えを備えているのがネットの世界であるならば、新聞は社会共通の話題「常識」を提供していくメディアであるのだといえます。政治、経済、社会、国際情勢-。自分の興味があることだけが世の中の全てではない。そんな視点を持ってもらうためにも、中学生、高校生のうちに、新聞をパラパラとめくりながら、世界には自分の知らなかいことがたくさんある、ということに気づいてもらいたいと思っています。
オタク的な知識をただ否定するのではなく、その知識を相対化し、自分の力で足りない部分を広げていく手助けをしていけば、自然と「コミュニケーション力」も身につくのではないでしょうか。コロナ禍を言い訳にするのではなく、そんな状況下でも、社会に関心を持ち、他者とコミュニケーションをする力を磨いていって欲しいと思います。
出前授業の最後は、「隣のクラスメートが好きなものについて取材し、記事を書いてもらう」というゲームで締めることにしています。同じ学校に通う同年代でも、それぞれに興味を持っていることは違います。アイドル、スポーツ、ゲーム、アニメ・・・。今も昔も、若者たちの興味は多種多様です。そもそも、同じである必要なんてないのですから。
中学生・高校生たちも、やがて社会に出ていきます。学校での勉強とは違って「答え」のない毎日に、壁にぶつかることもあるでしょう。そんな時、他者と力を合わせながら、一つの目標を達成していく、そんな「社会人力」を身に付けるためのきっかけを、新聞というメディアを通じて身につけられるようになってくれれば、と思っています。
〔読売新聞東京本社 教育ネットワーク事務局 石橋大祐 氏〕
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