2021.08.24メールマガジン

〔現代職業工房 主宰・日本薬科大学特任教授 菊地 信一 氏〕-「現代学生気質」考

大学生の就職アドバイスを「業(なりわい)」としてから、早30年の歳月が流れた。その間、数多くの大学生と接してきたが、時代の変遷と共に、学生気質は確実に変化してきている。まさに、隔世の感といって良いだろう。

ここでは、筆者が肌で感じた「現代学生気質」考を記していきたい。彼らにとっては失礼な表現もあるかも知れないが、人生の先達としての「箴言(しんげん)」と捉えていただければ幸甚だ。

◆驚くほどの時事問題への無関心と“怒り”を忘れた大学生
この10年、国政選挙の投票率は6割以下で推移する。選挙権年齢を20歳以上から18歳以上へ引き下げた改正公職選挙法の施行から、今年で5年目を迎えた。改正直後は20代より高かった10代投票率は、急激に低下中だ。

総務省の抽出調査によると、選挙権拡大の平成28年7月の参議院選挙は18~19歳の投票率46.78%が、20~24歳の33.21%を上回った。しかしながら平成29年10月衆議院選挙は40.49%、令和元年7月参議院選挙は32.28%となっている。3人に1人しか投票をしていない実態は深刻だ。

というのも、税金と社会保障費の国民負担率は4割を超えており、少子高齢化が進行する将来、現在の20代の若者にかかる負担はさらに増加するからだ。こうした実情を知らない大学生は圧倒的に多い。そのため、私の講義では税務署や社会保険事務所の方々をゲストに呼び、啓発活動を行っているのだが、効果は薄い。

要するに、将来「自分自身の問題」になるという当事者意識が希薄なのだろう。相次ぐ政治家による不祥事にも無関心。いわば、“怒り”を忘れた大学生の群れが主流となっているのだ。「どこか他人事」がキーワードだ。

グループディスカッションのテーマは主に時事問題だが、現代社会の諸問題を知らない(知ろうともしない)大学生たちに、その対策を施すのは実に骨が折れる作業である。高校教育での現代・近代史の教育を見直さなければ、こうした大学生は増加する一方だろう。

◆目に余る国語力=日本語力低下
エントリーシート添削をしていると、間違いなく広義での国語力=日本語力低下を実感する。単に誤字脱字が多いからではない。いわゆる“若者言葉(なので等々)”を多用しているからでもない。信じられない程のワンパターン記述のオンパレードに遭遇するからだ。

たとえば、自己PR。「協調性」「積極的」「行動力」「責任感」「リーダーシップ」等々の定番が相次ぐ。しかも唐突に、そうした言葉が出てくるものだから、戸惑うばかりだ。

要するに、文章を書く以前の語彙力不足シンドロームと呼んで、差し支えないだろう。

自己を表現する自己PRでさえ、こうした惨状なのだが、志望動機は更にひどい。「安定性」「将来性」「成長力」といった安易な表現の連発となっている。

自分の頭で考えずに、マニュアル本のコピペに終始するから始末が悪い。当然の話だが、書類選考には不合格となる。運よく通過しても、面接では、自分の記したことの説明すら出来ない事態に。「書いたことには責任を持って相手に説明し、理解を求める」行為が面接の本質なのだが・・・。

昨今、大学ではリメディアル教育の必要性が叫ばれているが、大学4年間で国語力=日本語力を向上させるのは困難といってよい。読書離れ、活字離れが進行する現代、小中高の「国語教育」の充実を求めているのは筆者ばかりではないだろう。

◆失敗を怖れチャレンジ出来ない
幼い頃に、両親から「他人に迷惑をかけないで」と言われ続けた経験のある大学生が、失敗しない行動を取る確率が高いのでは、と筆者は仮説を立てたことがある。
この仮説は意外に的を射ているかも知れないと感じている。今後、実証の必要はあるが。

というのも、自己PR作成の講義等で「失敗・挫折の体験を乗り越えてきたことが、自分自身のアピールポイントになる」と説いても、「私、失敗した経験がありません」の学生が大半を占めているからだ。まるでテレビドラマの女医のセリフのようだが。

こうした学生の共通点は、いわゆる「世間から見たら良い子」。他人から叱られたことのない、安心で無難な生き方を選択してきた優等生の群れだ。

傷ついたことがなく、傷つくのが嫌な学生たちは、就職活動時に於いて、生まれて初めての挫折を味わう。その段階で当該学生の就職活動は一時停止もしくは終了となる。

自分は傷つかず、できるだけ相手によく見られるようにして、面接を突破したい、これが学生たちの本音。しかし、企業側は、面接では会社にとって本当に必要な人間かどうかを見極めるための場と考えている。それゆえ、時には意地悪な質問をすることもあるだろう。

何より、面接は会話であり、正答などあるはずもない。話が、どのような方向に進んでいくなど、当の面接官にも分からない。それでも学生たちは「台本を教えてほしい」「模範解答は何ですか」との質問を繰り返してくる。失敗を異常に怖れているからなのだろう。そこには、チャレンジという言葉すら存在しないのだ。

就職支援が卒業前年度からだけで不十分な理由はここにある。近年、加速度的に増加する「3年未満の離職率」を防ぐ策を、大学が真剣に問わなければならない。見せかけだけの内定率の高さをアピールする時代は終焉を迎えるだろう。

当該学生の生まれ育った環境から今日に至るまでの生き方・考え方を知らなければ、真のバックアップにならないことを自戒しているところだ。リスクマネジメント力、ストレス耐性能力の低い学生たちとの触れ合いは、疲労を倍増させるが・・・。

◆18の春の偏差値で自己規定する傾向 エンカレッジこそ重要
大学受験をする18歳の春に、偏差値で自己を規定してしまう学生は大半を占めている。知名度があり、偏差値の高い大学に入学した学生は「これで人生の成功者に近づく」と一安心。親の考えも同様だ。逆に、偏差値の低い大学に入った学生たちは「人生の敗北者」と諦めてしまう。

しかし、一部の学閥がある企業を除けば、社会に出て10年もすれば、どの大学出身かは話題にならなくなるのが一般的だ。

このような「自己規定」は就職戦線の早期化に伴って加速化してきた。たとえばエントリーシートの設問。「大学生活の中で力を入れてきたこと」を問う企業がほとんどだ。

ところが、入学して3年未満の学生に「大学生活を総括しなさい」と要求しているのと同じではないか。

学生にしてみれば、入学後に変わった自分や積み上げてきた自分を評価してもらうというよりも、入学時の能力=偏差値だけが評価されるのかという思いになるだろう。

企業には、エントリーシートの設問に一工夫を加えてもらうことを提言したい。コロナ禍の今だからこそ、必要なことだ。

キャリア支援(就職アドバイス)を行う上での最大の重要なポイントは、入学した時点で、偏差値のことを忘れさせる努力だ。「自己肯定感の低い」学生たちを、いかにエンカレッジさせていくかが筆者の役割・使命と考えている。まだまだ綴りたいところだが、紙幅が尽きた。続編は次の機会に譲りたい。

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菊地信一 プロフィール

1977年文化放送ブレーン入社
1990年現代職業工房設立
1996年日本ジャーナリストセンター主任講師
2004年札幌学院大学客員教授
北星学園大学、東北学院大学等で非常勤講師
立命館大学、関西大学等々96大学で就職講座講師を務める。

2008年より日本工業大学教授(共通教育学群主任教授)
2020年より日本薬科大学特任教授
2021年より日本キャリアデザイン学会代議員

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shinichikikuchi@nichiyaku.ac.jp

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